第三廻

けがせないものひとつ

じわじわ熱い。
黒と赤ばかりのそこに、その小さな影は舞い降りた。 小さなとは言っても、それなりの大きさはある。小柄 な少年か少女ほどの大きさだ。
その陰は自分をまっちゃんと呼ぶ。
黒衣、首には百以上のちいさな骸骨を下げ、不気味な 姿ではあるが顔に浮かべた表情は明るいものだった。心 から楽しむ微笑みである。
靴で地面をつついたまっちゃんに、近寄るのは責め苦を 浴びる者たちだった。
血反吐にまみれた口で、たすけてくれ、なんていう。
にっこりと微笑んで返す。
むきだしの首を踏んだ。骨の折れる音がした。口から血を 吐き出し、その者たちは悶えた。
まるできれいな花でも見つけたかというように、うっとり とするほどの美しい笑み。
まっちゃんの後ろに男が歩いてきても、それは続いた。
「飽きねえのか」
「あきないさ!おもしろいもんね!」
男も罪人だった。ここではなかなか大きな罪を抱えた人間 で、責め苦も一層恐ろしい。けれど一番耐える罪人でもあった。
生前の”色の相手”の一人に抱きつかれ、体が燃えて もくちびるをふるわせるていど。絶叫もあげずにただただ 責められていた。
「だからって、反省しているわけじゃないよね」
反省していたならば、上の世界にいただろう。
嘆きもせず、ただ責め苦に遭う。
変わり者だった。
「今日は何のようなんだ」
「ただ見学。見てるの楽しいしね」
美姫のようにほほえむまっちゃん。
何故だろう、芸術家がいればまっちゃんの容姿を褒めたた えるのだろうが、男を芸術家に昇進させはしなかった。
彼は、男だけは。
「そうだ、今回はもっとすごくめちゃくちゃにしてくれるんだってね」
まっちゃんは男に笑いかける。
「いくでしょ?」
不吉な姿の小さな陰は、男がついていくのを分かってい るように走り出した。

皮の剥がれたところを針のようなくちばしでついばむ虫。
吐き気を催す臭いの血溜まり。
果ての見えない針の山。
何人も群がってくる、生前の色の相手たち。
「ほおー、どっちだか知らんがけっこういらっさいますなあ」
身体を何度も燃やす男をみて、ほええと間の抜けた声を出して、目 を輝かせた。
「……よく分からん」
生き返った男がため息をつく。
「あんたなんでしんだの、そういや」
まっちゃんは罪人を積み重ねた上に座って、男を観察していた。
「そのおあいてさんたちは、庇ってくれなかったの?」
「庇うに決まっている。当たり前だろう」
「なのに死んじゃったんだ。いいのそれ」
「…………」
「あんたならさ、この俺を地獄にやるとは!殺してやる!くら い言うんじゃないかなーってさ」
「…………」
男は答えなかった。
ただ、痛めつけられ、死んで、生き返る、それを目的地にたど り着くまで延々と繰り返すだけだ。
「…………ふ」
たぶん分かってるんだろうけど、まっちゃんはあえてそこつっ こむからね。
正体通りのことやって、何が悪いっての。


身体を折って這い蹲るような体勢にされる。
鞭で打たれるのかと、男はやぶにらみに振り返りみた。
獄卒は口の開いた柄杓を持っていた。黒金の水でもかけられるのか。 それとも肉を食らう蛆のわいた水だろうか。
縛り付けられて、顔を戻される。
下を向いていた男は、かすかな音を聞いて顔を上げた。

にいさん。
女の声だ。

「…………!」
女が、針の木の上にいる。白い肌に何本も針が刺さる。 女の髪は、血でてらてらと光をはね返していた。
「…………!!」

にいさん。
また声がした。

今度女が見えたのは、すぐそば、小屋めいたぼろの建物の陰だった。
そこで女は。
妹は。
足蹴にされ、髪を捕まれ、殴られていた。
悲鳴も上げずに、ただ衝撃に身体を曲げていた。
「………」

ああ、にいさん。

背後からいもうとの腕を掴む者がいた。
卑しい笑みを浮かべる人物を見て、身体におびただしい熱を感じた。
「どう、痛めつけられる気分は」
死に神のような不吉が、のぞき込む。
「やっぱりこういうのは一人も幸せさんがいないほうが 丸く収まるよ。みんな、しあわせ。いいねえ!世界がまぁるくなるよ! たまらないねぇ!」
愛されずに利用されたもの、愛しながら利用されたもの 、愛されて利用したもの。三種の人間を、ひとつの怪物が観ていた。
「これだから見物はやめられないんだよなあ!!」
黒をまとう影が手を叩いて笑う。
「ねえ!プラトニック近親相姦野郎!」
おんなが痛めつけられ、男もとうとう声を上げた。
「そいつは、そいつは関係ない!」
「共犯者じゃないか」
きょうだい二人分のうめき声が洩れる。
男は、兄は腹の奥に灼熱が広がるのを感じた。腸が破け て焼き焦げてゆく。
「あはは、どんなかんじ?やっぱりさ、それでもだあい すきな妹なんだ?」
次第に声は大きくなっていった。断末魔の絶叫でもあり ながら、濡れ場のかざりの嬌声のようでもあった。
地獄の光景は、その二人に加わった新しいうめきも重な って、さらにごうごうと蠢いていた。
しかし、奥深くの業火の中には、一人分の声も届かなかった。

[地獄道]
悪趣味のひとつらしいけど、それ決めたのまっちゃんじゃないし。
[魔羅辞典より抜粋


2012/09 : 加筆修正

2013/11 : 加筆修正